左も右もヒラメ筋?

もヒラメは左に目があって、カレイは右に目がある。

 

この二つの違いって、これですよね?

あんまり詳しいことはわからないんですが、なぜ彼らはこうも左右対称の関係性になったのだろうか。

 

そして、人間の身体には、ヒラメ筋という謎の名前の筋肉が存在する。

 

左足がヒラメ筋なのはわかる。

けど、それをヒラメ筋とするならば、右足はカレイ筋なのではと最近思っている。

 

日本語はまだまだ謎が多い。難しい。

 

Martin Zukor

命を頂くという感覚!ちゃんと言おう!「いただきます」!

最近、用あってクジラの肉(鯨肉)を頂いた。

昔は、安価に摂取できるタンパク質で、牛肉や豚肉に手が出せない経済事情の方々のタンパク質摂取に一役買った代物だ。

クジラの竜田揚げを給食で頂いた世代もいるだろう(私もギリギリその世代だ)。

だが、今では、高い!

漁獲高の変化によるものと、いわゆる「食用肉」の値段の安定化による相対的なものだろう。

 

ちょっとした豆知識になるが、鯨肉に含まれる「バレニン」という成分は侮れない。

この「バレニン」は、抗疲労効果がある。

長距離遊泳を可能にするクジラの体内には、このバレニンが豊富に含有されているのだ。

牛肉・豚肉・鶏肉にはこのバレニンは、100g当たり1~4mgほどしか含まれていないにも関わらず、鯨肉には、なんと1400mgほど含まれている!

“ストレス疲労社会”を生きる現代人にとっては必要な栄養素なのかもしれない。

 

また、その翌日は、熊肉や鹿肉などいわゆる「ジビエ」を頂いた。

昨今、鳥獣被害対策として国も行う施策の一つだ。

 

以前、海外を訪問した際に、鹿肉は頂いたことがあった。

赤身肉で、少々の野性的なにおい(気にはならないが確かに感じる)。

さっぱりした味わいから、その生命が山谷を駆け巡っていたことが容易く想像できるものであった。

 

しかし、熊肉となると今まで頂いたことがない。

イメージでは、堅そうで、臭そうで、クセがありそう(奇しくも3Kだ)。

意を決して、口の中に入れてみる。

 

んーーーー。

 

これは旨い!!!

 

抱いていたイメージとは裏腹に、ジューシーで程よい脂身。

口の中に旨みが広がった。

正直私は感動を覚えた。

 

その後、帰って、ネット上での熊肉に対する感想を見てみた。

皆さん、まずまずの高評価。やはり私の舌に間違いはなかったのだ。

 

しかし、なんとも言えない感情が沸き起こった。

「生命を頂いているんだなぁ」。

 

普段見る、クジラやクマやシカは、生きている。

けど、目の前で見た鯨や熊や鹿は、食材となっていた。

 

これがある意味私の中の感覚を変化させた。

 

実は、普段食べるような牛や豚や鳥は、生きているところより食材として加工され、食品となった姿の方が多く見る。

自然と私たちの中で、食肉に対する生命を感じづらくなっていたことに気付いた。

 

あの動物園で見かけるクマやテレビで見かけるクジラが、今目の前のこのお肉になっているんだよなぁ。

これを想うと、今まで何の感情の変化もなく、牛や豚、鳥を頂いていた自分の感覚麻痺が顕在化し、怖くなった。

 

それと同時に、この体験は、教育上も重要な意味と価値があるように思った。

 

すべての生命には計り知れないほどの価値がある。

ちゃんと心を込めて、言おう。

「いただきます」

 

Martin Zukor

全力で恋せよ!中高生諸君!

オードリーの若林さんがこんな発言をしていた!

(ニュアンスですが)

「中学、高校、大学、20代前半、後半とそれぞれの時期にその時の全力で恋愛をしていないとダメ!大人になったときに、RPGでいうところのレベル3で中ボスに挑むことになってしまうから!」と。

 

確かになぁと深く共感しました。

 

個人的な話ですが、私は中高一貫の男子校で6年間過ごしました。

小学生のときも友達はいましたが、女友達はあんまり多くなかったように感じます。

小学校高学年になってくると男女差ということに気付き始め、女の子と一緒にいる男子は怪訝な目で見られたから自然と距離を置いていました。

 

そのため、中学高校は女っ気全くなしの6年間を過ごしました!

大学受験のための塾にも通いましたが、時すでに遅しで話こともあまりできませんでした汗

 

その為、大学に行っても、理想的な恋愛からはほど遠い青春を過ごしました。

そうして、社会人になってもレベル3どころかレベル1のためにいい恋愛がなかなかできない。

街中で見かけた女性は皆綺麗で可愛く見える(一見いいように思えますが話しかけられないので地獄です)。

食事に誘おうにも下心丸見えで全く食事に行ってもらえない。

 

いつまでも僕は一人なのだろうと若干諦念に近いものを吐露していました。

あれは、今思うとただ孤独を隠すための強がりだったんだなぁと思います。

 

ところが、世の中には男子校もあれば、女子校もあるのです!!

 

社会人4年目になり、仕事もバリバリこなしていた時に、女子校出身の同じ会社の後輩と交際が始まりました。

案外うまく恋愛関係は進展しましたが、やっぱりまだまだレベル2くらい。

防御力は強くなってなかったわけです。

僕はたぶんトーク力などの攻撃力にレベルアップ時のポイントを振り分けていたように思います笑

 

故に「別れ」の時のダメージが半端じゃなかった!!

彼女と別れてから2か月間、仕事が全く手につかない!もう社会に出て、長いこと時間を過ごして、まぁまぁいい大人になったのに。それがめっちゃ恥ずかしい。

 

もう毎日寂しすぎて、友達にあってもらわないと死んでしまうんじゃないかなぁと思っていた。

 

こういうものって本来、中学、高校と少しずつ経験をして、防御力を上げていくもの。

プールでいうところの、プールサイドに腰を掛けて、バタ足して、胸に水をかけて、少しずつ水に慣れて入水。こういうことを小学校の先生は教えてくれたのに、恋愛になると教えてくれない!!おかしいよ!

僕は、プールにたとえて言えば、服も着たままいきなり入水したようなものだ。さながら入水自殺。

 

やっぱり段階って必要だ。

少しずつグラデーションのように成長しないとダメ。

けど、RPGも一緒で、レベル3で中ボスを経験するとものすごく多くの経験値を得られてめちゃくちゃレベルアップするというもの!!

僕も、めっちゃレベルアップできたはずだ!

 

そう確信して、女の子と話してみてやっぱりうまくいかない。

なるほど、この前まで付き合った彼女は中ボスでもなんでもなくて、女子校出身だから僕と同じくらいのレベル2だったしな笑

 

僕は今もなおレベル3のようです。

 

Martin Zukor

革命家たれ!人生ずっと中二病!

年齢を追うと、なかなかにコンサバティブになっていく。

というか現実主義的になっていくのだ。

 

なまじっか社会や世の中を知ってしまうと、先んじて成功するか失敗するかのパーセンテージを算出できてしまう。それはあくまで概算ではあるが。

 

僕は昔から「人生ずっと中二病」でありたいと思っている。

いつまでもあれやりたい、これやりたいとロマンや希望を持っていきたいのだ。

 

けど、社会人2、3年目くらいの時からかな。

やりたいことがプチっとなくなったのだ。

「大人になる」ってこういうことなのだなぁ、と自分が怖くなった。

今まで嫌いで仕方がなかった死んだ目で電車に乗る日本人サラリーマンに自分がなっていたことに気付いた。

 

それを治すにはやはり荒療治だった。

たくさん心を痛めた。たくさん涙を流した。

パニック障害にもなった。

年収も減った。

 

それらを乗り越えて今がある。

今はやりたいことが多い。

 

だから今が最高だ。

 

周りの環境を、自分を妨げる原因にすればそれまで。

けど、自分を成長させるトレーニング場だと思えば、そこは最高な場所になる。

決めることだ。「革命家たれ!」と。

いつまでも夢見がちなピーターパンでいたい!

 

Martin Zukor

「知足安分」欲との付き合い方

「知足安分」

この言葉について考えさせられます。

 

自分の地位や立場に満足すること。

欲をかかないこと。

 

これと向上心は相いれるものなのだろうか。

 

昨夜「パラサイト」という映画を見た。

内容を記載することは避けるが、「欲」について考えさせられる映画だった。

分不相応な地位や立場を望むと良い結果にはならないのだ。

 

また昨年「アラジン」を見た。

強欲の象徴こそ悪役「ジャファー」である。

 

私自身、「欲」が強い。

しかも、自己顕示欲が強い。

 

しかし、「欲」がないことも問題だ。

成長をするエネルギーが生まれないと私は思っている。

 

「知足安分」と「自己成長」のちょうどよいバランスを探ることも大事なことなのだろうと思っている。

 

Martin Zukor